ショパール L.U.C.25周年アニバーサリーコレクションのハイライト 25周年を祝して。

今から25年ほど前、ショパールの共同経営者であるカール-フリードリッヒ・ショイフレは、時計業界を見渡し、もはや供給されるムーブメントに全面的に依存するべきではないと考えた。

 1996年、ショパール初の自社製キャリバー1.96(誕生した年にちなんで命名)が時を刻み始めた。翌年、この1.96は、L.U.C 1860と名づけられた日付機能付きのエレガントな3針時計でデビューした。これは、スイスのソンビリエ村に自らの時計工場を設立したルイ-ユリス・ショパールへのオマージュだ。建物の看板にはL.U.C(ルイ-ユリス・ショパールの略)と書かれており、年号はそう、1860年だ。

 今年、ショパールは自社製ムーブメントL.U.C.の25周年を記念して合計9つのアニバーサリーモデルを送り出す。既存のL.U.C.に新たな解釈を加えたモデルもあるが、ブランド初の自社製ジャンピングアワーを搭載したL.U.C クワトロ スピリット 25、 カリテ フルリエ財団 の認定を受けた初のSS製L.U.C.であるL.U.C QF ジュビリー、ハイテックなセラマイズドチタンを使用するエッジの効いたトラベルウォッチを2モデル、そしてWatches & Wonders上海のために製作された、2つのL.U.C フライング T ツイン レディ トゥールビヨンなど、いくつかの注目すべきモデルがある。

ファースト・インプレッション
 1990年代半ば、機械式時計がクォーツ危機から立ち直りつつあった頃、ショパールのような小規模の独立系ブランドが、本格的なマニュファクチュール化を目指すのは、かなり野心的なことだった。

 当時の時計業界では、ムーブメントをETA社などの大手メーカーから調達することが主流だったため、自社で製造することが競争の激しい市場で差別化を図るための重要な手段となっていた。しかし、マニュファクチュールを作るというのは、特にCADやCNCマシンの全盛期以前には、容易ではなかった。

 ショパールにとって全ては、1994年、スイスのフルリエにあるETA生産施設の中にある青いドアの貸部屋から始まった。そこで8人のチームが、後にキャリバー1.96となる製品の開発に着手した。ショイフレは当初から、ありふれた自動巻きムーブメントを作ることには興味がないと明言していた。彼は自社の時計を、自分のような目の肥えたコレクターの間でも注目されるようなものにしたかったのだ。

「私にとって、L.U.C.の最初のムーブメントは、真の革新をもたらすものでなければなりませんでした。私たちは、ツインスタック香箱とそれが作り出すエネルギーのクオリティによってそれを成し遂げました」と、ショイフレはプレス資料の中で語っている。また「他のマイクロロータームーブメントの巻上げは一方向でしたが、私たちは非常に効率的な両方向の巻上げシステムを求めました。そして、ついにジュネーブ・シールとCOSCクロノメーター認定を得ましたが、それは私にとって、私たちの作品の信頼性を示す究極のステートメントでした」とも語った。

 2000年にショパールが建物全体を購入し、現在では3300㎡(約3万5500㎡)の敷地に150人の従業員が、21の伝統的な時計工芸に携わっている。2階にあった最初の工房は、今でもあの青いドアの向こうに存在している。

 この25年の間に、ショパールは11系統のキャリバーと100以上のバリエーションを発表してきたが、L.U.Cのエクスクルーシブな品質を守るために、年間約4500本の生産に限定している。

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